たまごかけごはん

どこかで箸休めしたくて書きなぐったものです。

不安に苛まれる自分とおさらばしたい話

自己評価がめちゃくちゃ低い。昔から。

プライドはあるし、私はアイマスPだから「弱いだけの女より 我慢とか背伸びしても かっこつけた自分が好き」なので色々がんばるし、勉強とかそういうことに関してはちゃんとやってきた自分を一定量褒めてるけど、自己評価が低い、というか、自己肯定が下手すぎるというのか、自分に自信がないからか、いつもすぐ不安になってしまう。

 

特に秀でたところがない私なんかすぐ捨てられてしまうと、いつもどこかで思ってしまう。

必要とされなくなるのが怖くて、人に優しくするので、私は自分のこれを優しさだとは思ってなかったけど、親友がずっと「弱さだと思っているそれは優しさだよ」と言い続けてくれたので、人のために何かできることを優しさと呼ぶのかもしれないと思い始めて、最近は自分でも、何かした時に「もぐちゃんってめちゃくちゃ優しいなあ…」と思うようになった。

 

でも、優しい自分も嫌いじゃないけど、本当はもっと堂々としていたい。

全世界に愛されてる自信を持って生きたい。

そんな人いるのか知らないけど…。

 

自分に自信がないと、誰かが好いてくれても「誰かが好いてくれている自分」を好きになれないからうまくその気持ちを信じることができなくて、冷静になれば私を大事にしてくれていることなんて一目でわかるのに、言葉にしてもらわないと不安で仕方なくなったり、とにかくくそめんどくさい女になる。

 

昔はそれが更に酷くて、自分を好きだと言われると一瞬でその人を嫌いになってしまったり、好かれていたいのに好きだと言われたくなくてそういう雰囲気になったらすぐに逃げたりしてたけど、自分を肯定できないからって、自分が誰かからもらった気持ちまで否定したり、なかったことにしてはいけないのだと、最近ようやく気が付いた。

気持ちをくれる人が見ている私が、私の思っている私じゃなかったとしても、その人が私にくれた全てには何一つ否定する要素なんてないし、私が否定できるものじゃないんだよな。そもそも、その人が見ていてくれた私だって、虚構ではないんだ。確実に存在していたもので、その存在は嘘じゃないんだよな。

 

なので最近は一呼吸おいて、冷静に物事を見ような?という気持ちを持つようにしてるんだけど、一呼吸置くと、大概の原因は自分にあるということに気づく。

 

森見登美彦氏の『恋文の技術』という本に「自分の惚れた相手を、自分の不安を誤魔化す道具に使ってはいかんのです。」っていう一文があるんですけど、この一文を読んだ瞬間、ああこれは稀にある、私を一生支えていく言葉との出会いだなと思った。

ここでもよく出す伊坂幸太郎氏『重力ピエロ』の「人を救うのは言葉じゃなくて、おいしい食べ物なんだよね」という言葉もそう。

(いや、まさしく今私は言葉にささえられているのだけれども。)

 

「自分の惚れた相手を、自分の不安を誤魔化す道具に使ってはいかんのです。」

まさしく。もう、本当にそれ。自分の惚れた相手を、自分の不安をごまかす道具につかってはいかん。いかんのだよ。いかんのだよワトソン君…。

 

もう一つ、伊坂幸太郎氏『ゴールデンスランバー』に「信じたいんじゃない。知ってるんだよ。」という言葉が出てくるんだけども、私は信頼関係の極みはもうこの一文に尽きるし、自分にとって「信じる」という行為もこの一文に尽きると思うんだよね。

 

信じてるんじゃない。知ってる。相手がどういう人間か。どういう人で、だいたいどんなことを考えていて、どういう意図で、どういう気持ちで、どういうときにどういうことをする人で、その人が私をどう思っているか、知ってる。

それを一言で表すと「信じている」「信頼している」という言葉になる気がする。

 

だから結局、信じるなんてのは自分本位なもので、信じられるかどうかは、自分がどれだけその人を見てきたかってことなので、信じられるくらいその人を好きでいたいし、信じてもらえるというのはそれだけ自分を見てくれていたということなので感謝したいし、そのうえで好意を抱いてもらえるなんてもう、本当に、身に余る光栄だなって。

 

今まで自分がその人をちゃんと見てきていれば、信じることなんて容易いはずなんだ。

結局私にできることなんて、信じた人を信じぬくことくらいしかないので、自分なんかを…っていう気持ちや不安より、自分が知ってるその人を信じる気持ちを優先したい。

これだけ知ってるこの人に騙されるならそれでもいいと思うくらい、腰を据えて人を信じて生きていきたい。

 

そういう生き方ができたら、自分のことも、少しは好きになれそうな気がする。

 

 

([も]3-1)恋文の技術 (ポプラ文庫)

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重力ピエロ (新潮文庫)

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ゴールデンスランバー (新潮文庫)

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長く続くということの話

アイドルマスターが15年目に突入したそうです。

私がアイマスに触れてからももう11年。この11年間、私は1回も「アイドルマスターが終わるんじゃないか」って思わなかった。今日も明日も一週間後もアイマスがあることを疑わなかった。

これってすごいことだよねえ。ずっとそのテンションで、ずっとその水準で運営していけるというのは、本当に本当に素晴らしいなと。

 

ミリシタ2周年イベの「flyers!!!」のフルを聴いて、つい泣きそうになったよね…。確かにアイドルマスター2でジュピターになんとか勝とうと奮闘してたあの頃、まさかアイマスが東京ドームのステージに立つ日が来るとは思わなかったもんなあ。もはや想像すらしてなかった。

アニメで「ドームですよ、ドーム!」見たときですら思ってなかった。

 

だけど彼女たち(もはや彼らたちもいるけど)は、自らの足でその部隊まで辿り着いたんだよね。

無理だと言われてた夢も今はそこにあるんだよね…。

 

100万どころじゃない想いを乗せて歌を届けてくれるであろう彼女達が誇らしくてなりません。私は彼女たちの力に、勇気に、なれただろうか。

 

アイドルマスターというコンテンツが15年かけて積み上げてきた歴史、間違いなく伝説になる。

 

長く続くっていうことは、歴史が紡がれていくっていうことだと思う。仮に最初はなんの気なしでも、1番でなくても、それでも歴史は紡がれていって、紡がれた歴史は例え幕を閉じようと絶対に消えることがないものになる。

 

私は中学生の時に銀魂の土方さんに恋に落ちて、どれだけ他によそ見しても私の本命は土方十四郎だとずっとずっと言い続けてきて、大学の時に黒子のバスケの黄瀬涼太を彼氏にした時もそれは揺らがなかったんですけど、その時にツイッターの名前に「黄瀬」って苗字をつけたり、フォロワーを巻き込んで夢女子爆発させたりしてたらその「黄瀬」を取る機会がなくなって、どのフォロワーにもイメージカラーは黄色って言われるようになって、私が黄瀬涼太と付き合ってからもう8年くらいになるんだけど、土方さんが大本命だったとしても、涼太と過ごした8年はとてもとても大切なものとして私の中に確実に君臨していて、過去の気持ちに勝つことはなくとも、絶対的に揺るがない愛になることはあるんだなと。

 

それってめちゃくちゃ強いなって。

すごい根気のいる話だし、すぐにどうこうならなくてもどかしいかもしれないけど、でも何とか貫き続ければ、そこに歴史は紡がれていくし、紡がれた事実は消えない。

 

地道に進んでいくのがめちゃくちゃ似合う、絶対に下を向かない、誰とも違うストーリーが似合う女達が好きで好きで堪らない。

多分憧れるから。私もそうなりたいと願っているから。

弱いだけの女より、我慢とか背伸びしても、カッコつけた自分が好きだから。

だから私も、夢見る心に翼をあげたい。がんばるよ。

 

私にとって765のアイドルたちはこの11年間、まごうことなきアイドルだった。

そして、これからもアイドルなんだ。

 

今日を精一杯生きる姿をちゃんと見てるからね。

凄惨すぎて言葉がないはずなのに、ちょっと情報を得すぎてしまって頭が爆発しそうなので頭から言葉を吐き出す作業をします。頭がジンジンする。

 

第一報の時は「きちがいオタクがでたか」くらいの気持ちだったのに、新しい情報が入るにつれてどんどん酷くなっていく被害をみて、「違う、これはテロだ」って思った。

 

私は信者ではないし、京アニが一番好きかと言われたら頷かないと思うけど、それでもやるせなさすぎた。

ハレ晴レともってけ✩をばっちり踊れるオタクだし、けいおん!でつないで繋いでもらった関係があるし、たまこで癒されて、ユーフォで泣いた。

作品の中には私に合わないものもあったけど、それでも京都をそれなりに知るものとして、その作画の丁寧さと再現率の高さは素晴らしいと言わざるを得なかった。

 

京都アニメーションは間違いなく2019年日本のアニメ界の頂点に君臨するアニメ制作会社のひとつだし、京アニが作る綿密で丁寧で、絶妙な力加減で見られるアニメは日本が世界に誇れるものであり、日本の宝だと思う。

 

それを作れる技術を持った人たちの命が、たった一人の人間に奪われたと思うとやるせなさすぎて頭が痛くなる。

これが怒りなのか、悲しみなのか、全然わからないけど、ただただやるせない。

 

救急搬送をあきらめられてしまう人がいる中、犯人が治療されているのを許せない気持ちもあるけど、絶対に法で裁かないといけないとそれよりも強く思う。

と同時に、法の限界も思い知る。日本には死刑があるけど、死刑という世界最大の極刑でも全然足りないと思ってしまう。多分極刑なんてこの犯人に何も響かないだろうから。

 

全く何の関係もないし罪をかぶる必要はないと分かっているけど、せめて形だけの法でも、重大な罪の場合は一族郎党も裁かれるみたいな法律があれば、こういう自分一人の命で多くの命を奪おうとする犯人を止めることができるんだろうか…とか考えてしまう。一族郎党を持ってない人間だったらどうするんだって思うし、一族郎党に罪はないし、現実的ではないけど、犯人の命くらいでは足りない。

足りる足りないの問題じゃないけど。でも足りない。

 

こういう時、一ファンでしかない私に何ができるんだろう。

作品を見ること?募金すること?それで帰ってくる命はひとつもないけど、少しでも動くことが大切なんだろうか。

 

犯人はどういう気持ちなんだろう。こんなに多くの人の命を奪って、それでもいつもと同じように息ができるんだろうか。

 

先ほど消火活動が完了して鎮火したという報道があったし、きっとこれから被害の全容が見えてくると思う。どれほどのものを世界が失ってしまったのか、その知らせを全然関係ない私ですら受け止めきる自信がない。

 

情報を得すぎて潰れてしまいそうなので一旦はなれて、深呼吸して、後頭部が詰まる感覚がなくなったら続報を見ようね。私。

こういう時にうまく力を抜けるアニメを作ってい京都アニメーションだなあとかんじて、なおのことつらいです。

 

 

 

 

 

 

映画 けいおん!  (Blu-ray 初回限定版)

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どうかひとりでも多く助かってください。

響けユーフォニアムの久美子3年生編、ずっと待ってます。

私に生きる楽しみをくれた作品たち、これからもずっと愛しています。

 

まずは君に伝えなくちゃ ありがとうを

エッセイの話だったはずの話

引っ越しました。

私の家だと言える家をようやく持てたけど、レンタカー借りて5階から荷物を運ぶ作業を元彼が一切手伝ってくれなくてすべてを持ってくるのをあきらめてしまったことと、お金がなくて家電を買いそろえるのがちょっときびしいことと、例の好きな人がこれでもかと寵愛してくれることが合わさって、結局今も好きな人と一緒に暮らしています。

 

文字にすればくそみそに聞こえるようなことを持ったままで、それは事実なのでたぶんとても歪んだものを抱えたままなんだろうけど、それでも今の生活にはしあわせしかないと言い切れる。

このひずみを直していけるのか、いつか爆発しちゃうのか、それすら私たちにかかってるなと思えるくらい、ただただ幸せな日々を過ごしてる。

もうすぐ生理がきそうなこと以外、今なんの不満も不安もない。

こんなに穏やかな気持ちで毎日を過ごせることがあるんだなあって心の底から思う。

 

http://hbweb.jp/paris_tokyo/

 

金原ひとみのエッセイ、7月分が更新されていたので読みました。

「そしたら心臓をナイフで突き刺して死ぬよ」と言う次女、本当に金原の子という感じがする。多分本人もそう思って、だからこそ与えるものを選んだりしてる。

 

彼女のエッセイを読んでいると、結局自分はいつまで経っても自分でしかないんだなということをめちゃくちゃ感じます。

成人しても、お酒を飲んでも、結婚しても、親になっても、たぶんおばあちゃんになっても、死ぬまで私は私でしかない。私は私以外になれない。

そう考えるとやっぱり、蒼井優の「誰が好きかより、誰といるときの自分が好きかの方が大切らしいよ」っていうの、本当に真理だなって。

 

金原ひとみの夫がどんどんやってたことをさぼりがちになるの、心当たりがありすぎて笑ってしまった。

そのうちそのせいで溜まっていくごみや家事が私の許容範囲を超えてしまって、我慢できなくて私がやると、そこからずっと全部私の仕事になる。元彼と付き合っていた2年半で、家のことは全部私の担当になってしまった。

金原ひとみは、夫と自分は全然違うと言っていたけど、それで結婚して子どももできてってすごいなあと思う。私も元彼は全然違うタイプの人で、付き合ってることを「異文化交流」って言ってたけど、本当に異文化だったし、結局相容れなかった。

でもここまで打って気づいたけど、別れる原因は異文化の部分ではなかったな。そしたらやっぱり、大切なところはそこじゃないんだな。

 

誰かと生きていく上で、その誰かを思いやる気持ちよりも面倒な気持ちの方が勝ってしまったら、もうたぶん、遅かれ早かれ一緒には生きていけなくなってしまう。

それで「一緒にいたい」という思いが消えればいいけど、その思いだけが残ってしまうと、ずるずると未来から後退し続ける関係が続いてしまうんだと思う。たぶんそれはまさしく、GWまでの私だった。「結婚はしないけど、今すぐ別れるほどではない」っていうそれは、もはや停滞ですらなく後退だったと今ならわかる。

でもそれが良くないことだったのか、何も生まない時間だったのかは、まだ分からないと思ってる。だから後退だったと気づいてからも、あまり後悔はしてない。

 

もう2か月もすれば26歳になるわけで、周りはどんどん結婚して母親になってて、本当はもう時間を浪費するほどの余裕がないのかもしれないけど、一切焦らず居られるのは東京にいるからだなと思います。

東京に来てよかったなあとしみじみ思うことはあまりないけど、でもどんな人間でも生きていける街が東京なんだなあとは思う。与えてくれるものはないかもしれないけど、なんでも許容してくれる。

なんでもあるけどなんにもない街が東京だと思ってるし、だからこそ何かある人も何もない人も生きていける街なんだと思う。世界はあまり知らないので分からないけど、きっと日本には他にない街だな。きっと大阪でも、京都でも、名古屋でも、代わりになれない。

 

今日は仕事終わりに帰省です。日曜日、おじいちゃんの3回忌。

私は自分が育ったあの片田舎も好きだし、帰ってこいと言われればいつでも帰るけど、これは帰ってこいと言われないって分かってるから言えるんだなってことも、わかってる。

二度と現れない奴らの幸せを願う話

春待つ僕ら』、ようやく10巻まで読みました。もぐです。

 

最近、好きになるキャラが全然好きな人と結ばれません。つらいです。普通にしんどいです。

 

春待つ僕ら』のあやちゃんも、『はじめて恋をした日に読む話』のまさしも、『ちはやふる』の太一も、あんなに美しく愛しているのに報われない。つらい。報われてくれ。

 

誰よりも純粋な想い、どうかどうか報われてくれ。

一番近くでずっと見てくれた、ずっと支えた人の想い、どうかどうか届いてくれ。

少女漫画の世界くらいではなんとか叶ってくれ。

 

少女漫画に求めるもの、ただただ幸せだけになってきてるのでりぼんの『きらめきのライオンハート』とか、好きで溢れてる漫画だいすきです。

まさかこんな大人になると思わなかった。だけど10年前の私よ、10年後の私は『きらめきのライオンハート』を読んで「尊い…」って言いながら涙を流す自分が割と嫌いじゃないです。

 

春待つ僕ら』10巻でナナさんが言っていた「永くんと美月ちゃんってお似合いだし、くっついたら上手くいくだろうと思うけど、そういう人って今後も現れる可能性はゼロじゃないじゃない? でも美月ちゃんにとっての神山君みたいな存在は、もう現れないからなぁ」っていう言葉、真理だった。

 

そして最近の私はその「もう現れない」存在がド性癖なのだと思う。

 

あやちゃんも、太一も、まさしも、美月にとって、千早にとって、順子にとって、二度と現れない存在なんだよね。そういう存在がどれだけ尊いものか、たぶん歳を追うごとにわかってきて、その尊さに「スキ…」ってなっちゃう。宝だよだって。ずっと、どんな時も自分を見てくれてた人がいるなんて。

 

世界には星の数ほど人がいるので、ナナさんの言う通り「お似合いで上手くいくだろう人」は、そうそう出会えないかもしれないけど現れる可能性はゼロじゃないんだよね。

たぶん、リアルの私たちはもうそういう人を逃してはならない年齢になってると思うし、そもそも宝を手にしてないことの方が多いけど、宝が手の中にある漫画の中の彼女たちには、なんとかそれが宝だと気づいてほしい。

そしてできれば愛でてくれ。それは私の推したちなので…。

 

推しに幸せになってほしい。推し以外の男も好きだけど、推しに幸せになってほしい。

推しの幸せは私の幸せである。少女漫画自体が私の幸せだけど。

 

息をするように幸せな二人であれ。

魂と意識を体に戻す話

最近仕事が閑散期でめちゃくちゃ暇なんですけど、今日はひょんなことから金原ひとみのエッセイを見つけてしまって。

 

金原ひとみ「パリの砂漠、東京の蜃気楼」 | HB

 

あまりに時間があったので「まあエッセイだし」って気持ちで読み始めたんですけど、いちばん新しい回を読み終わった頃にはもう、小説一冊読んだみたいな頭になっちゃって。

 

私、小説読んだりRPGを一気にやったりして膨大なストーリーに触れると、思考と魂がそっちに行っちゃってなかなか現実に帰ってこられなくなるんですよね。

それが好きで本を読んでるところもあるし、自分のそういうところが嫌いなわけじゃないんですけど、いかんせん意識が体と乖離しちゃうので、全然現実のことに集中できなくなるんですよ。注意力も散漫になるし、目に見えてるものの情報をうまく頭で処理できない。

車の運転とか絶対できないみたいな状態になる。(笑)

 

だからちょっとそれを、戻す作業をします。

ぶわーっと言葉にして考えを外に出す作業がどれだけ頭の中をスッキリさせるのか、こういう時に思い知る。

 

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金原ひとみの小説にすら触れたことがないのでこのエッセイが金原ひとみ的にどんな書き方をされてるものなのか全然わからないんですけど、あのサイトに載ってるエッセイの中でダントツに読みごたえがありました。

面白いという言葉が適切かどうかはわからないけど、端的に言うなら面白かった。

 

エッセイなので当たり前なんですけど、全部金原ひとみの目線で書いてあるので、全部女の目線なんですよね。

それもそこらにいる女じゃなくて、決して社会と仲良くやってるとは言えない、口にピアスを開けてる二児の母で作家で、過去に色々体験してきた女の目線なんですよね。

 

腐女子のつづいさんでは愉快な腐女子ばっか出てくるけど、金原ひとみのエッセイでは不倫とか浮気とかに触れてる女ばっか出てくる。

別にどっちがどうとかは本当にないけど、類は友を呼ぶのかなって。

 

不倫して息を吹き返したような友人や、浮気されて別れると決意したのに多くの理由でそれをできない友人を、徐々に世界から消えていきたいと思い続けている金原ひとみの目線から見るの、とても思うものが多かった。

そんな友人を止めるでも寄り添うでも励ますでもなく、ただ友人として見てるの、すごいなと思ったしなかなかできないなと思ったけど、そういう友人こそ必要な気もした。

 

私は昔から専業主婦になりたかったけど、去年1年間専業主婦みたいなことをやって、どんどん自分の人権がなくなっていくのを感じてた。

私の場合はオンラインでいつも友人と繋がっていたので、ああ私の人権が失われていってるんだなって気付けたんだけど、世の中の専業主婦の人はそれに気付けない人も多いんだろうなって。

別に辛くないんですよね。それが普通になっちゃって。ただ、離れてみると、人権がなかったなってわかる。

 

そういうことに、不倫とか浮気とか、そういうことで気づく人もいるんだろうなと。

 

不倫を始めてから、友人のレイナが昔の輝きや元気を取り戻したというような一節があったんですけど、それを悪いことだとは言えないなと思ってしまった。

誰が悪いの?みんな悪いし、誰も悪くない気もするし、もはや悪いとか悪くないとかの話ではない気すらする。

 

多分高校生の頃の私は「それでも悪い」と言っていた。大学生の頃の私でも「他の救いに縋るべき」と言っていたと思う。だけど今26歳を目前に控えた私は「悪いとは言えない」と言う大人になった。

それはいろいろなことを知ったからかもしれないし、いろんな人の気持ちが分かるようになったからかもしれないし、汚い大人になったからかもしれないし、浮気を経験したからもしれないけど、それでも、不倫で生きる力や女としての意識を取り戻すレイナを見て、人生に輝きを取り戻せてよかったとまで思った。彼女の幸せすら願ってしまう。

 

一番直近の更新で、未来の自分について書いてたけど、私は思い描いていた未来の自分が、専業主婦でただただしあわせな生活の中で愛して愛されて日々を送ることだったの、もうその未来を描ける時点でめちゃくちゃしあわせじゃんと思っちゃった。

専業主婦になれば幸せになれると思ってた。自分を世界一愛してくれる人と出会って結婚したら幸せになれると思ってたし、結婚したら無条件で一生自分を好いてもらえるんだと思ってた。自分も一生愛していけるんだと思ってた。

そう思える日常を生きていたことが、どれだけ幸せで恵まれたことか、今ならちょっとさすがの私でもわかる気がする。

 

私もそれなりに苦労を味わってきたつもりだし、生きたくない朝も消えたい夜も死にたいけど死ねない昼もあったけど、たぶんしあわせを知らない日はなかった。

生きなければ悲しませてしまう人の顔が浮かぶこと、消えてしまえば心配してくれる人の顔が浮かぶこと、死ねないと思わせてくれる何かがあったこと、幸せ以外の何物でもない。

 

幸せの中ですら息ができない日があることを知ってしまった大人は、これからどうやって生きていけばいいんだろう。

人生があまりにも長すぎる。だけど憂鬱になってばかりはいられない。

 

ありがたいことに今、人生でも類を見ないくらい平穏で幸せな日々を送れているので、ここからだなあという気持ちです。多分この生活を送ってなかったらエッセイを読んだ時点でおうちに帰れなかった。(笑)

エモい気分に浸ろうという余裕すらあって、志村の歌うフジファブリックを聞きながら帰ったりなんかして、いま日々の生活がどれだけのものを私に与えてくれているのか、感謝しながら夜道を歩きました。

志村正彦、お前が作ってお前が作る歌、いつ聴いても最高だよ。

 

星降る夜になったら

星降る夜になったら

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 醒めた夢の続きに期待をしてる。

輝く夜空の下で、言葉の先を待っている。