エッセイの話だったはずの話
引っ越しました。
私の家だと言える家をようやく持てたけど、レンタカー借りて5階から荷物を運ぶ作業を元彼が一切手伝ってくれなくてすべてを持ってくるのをあきらめてしまったことと、お金がなくて家電を買いそろえるのがちょっときびしいことと、例の好きな人がこれでもかと寵愛してくれることが合わさって、結局今も好きな人と一緒に暮らしています。
文字にすればくそみそに聞こえるようなことを持ったままで、それは事実なのでたぶんとても歪んだものを抱えたままなんだろうけど、それでも今の生活にはしあわせしかないと言い切れる。
このひずみを直していけるのか、いつか爆発しちゃうのか、それすら私たちにかかってるなと思えるくらい、ただただ幸せな日々を過ごしてる。
もうすぐ生理がきそうなこと以外、今なんの不満も不安もない。
こんなに穏やかな気持ちで毎日を過ごせることがあるんだなあって心の底から思う。
金原ひとみのエッセイ、7月分が更新されていたので読みました。
「そしたら心臓をナイフで突き刺して死ぬよ」と言う次女、本当に金原の子という感じがする。多分本人もそう思って、だからこそ与えるものを選んだりしてる。
彼女のエッセイを読んでいると、結局自分はいつまで経っても自分でしかないんだなということをめちゃくちゃ感じます。
成人しても、お酒を飲んでも、結婚しても、親になっても、たぶんおばあちゃんになっても、死ぬまで私は私でしかない。私は私以外になれない。
そう考えるとやっぱり、蒼井優の「誰が好きかより、誰といるときの自分が好きかの方が大切らしいよ」っていうの、本当に真理だなって。
金原ひとみの夫がどんどんやってたことをさぼりがちになるの、心当たりがありすぎて笑ってしまった。
そのうちそのせいで溜まっていくごみや家事が私の許容範囲を超えてしまって、我慢できなくて私がやると、そこからずっと全部私の仕事になる。元彼と付き合っていた2年半で、家のことは全部私の担当になってしまった。
金原ひとみは、夫と自分は全然違うと言っていたけど、それで結婚して子どももできてってすごいなあと思う。私も元彼は全然違うタイプの人で、付き合ってることを「異文化交流」って言ってたけど、本当に異文化だったし、結局相容れなかった。
でもここまで打って気づいたけど、別れる原因は異文化の部分ではなかったな。そしたらやっぱり、大切なところはそこじゃないんだな。
誰かと生きていく上で、その誰かを思いやる気持ちよりも面倒な気持ちの方が勝ってしまったら、もうたぶん、遅かれ早かれ一緒には生きていけなくなってしまう。
それで「一緒にいたい」という思いが消えればいいけど、その思いだけが残ってしまうと、ずるずると未来から後退し続ける関係が続いてしまうんだと思う。たぶんそれはまさしく、GWまでの私だった。「結婚はしないけど、今すぐ別れるほどではない」っていうそれは、もはや停滞ですらなく後退だったと今ならわかる。
でもそれが良くないことだったのか、何も生まない時間だったのかは、まだ分からないと思ってる。だから後退だったと気づいてからも、あまり後悔はしてない。
もう2か月もすれば26歳になるわけで、周りはどんどん結婚して母親になってて、本当はもう時間を浪費するほどの余裕がないのかもしれないけど、一切焦らず居られるのは東京にいるからだなと思います。
東京に来てよかったなあとしみじみ思うことはあまりないけど、でもどんな人間でも生きていける街が東京なんだなあとは思う。与えてくれるものはないかもしれないけど、なんでも許容してくれる。
なんでもあるけどなんにもない街が東京だと思ってるし、だからこそ何かある人も何もない人も生きていける街なんだと思う。世界はあまり知らないので分からないけど、きっと日本には他にない街だな。きっと大阪でも、京都でも、名古屋でも、代わりになれない。
今日は仕事終わりに帰省です。日曜日、おじいちゃんの3回忌。
私は自分が育ったあの片田舎も好きだし、帰ってこいと言われればいつでも帰るけど、これは帰ってこいと言われないって分かってるから言えるんだなってことも、わかってる。