たまごかけごはん

どこかで箸休めしたくて書きなぐったものです。

魂と意識を体に戻す話

最近仕事が閑散期でめちゃくちゃ暇なんですけど、今日はひょんなことから金原ひとみのエッセイを見つけてしまって。

 

金原ひとみ「パリの砂漠、東京の蜃気楼」 | HB

 

あまりに時間があったので「まあエッセイだし」って気持ちで読み始めたんですけど、いちばん新しい回を読み終わった頃にはもう、小説一冊読んだみたいな頭になっちゃって。

 

私、小説読んだりRPGを一気にやったりして膨大なストーリーに触れると、思考と魂がそっちに行っちゃってなかなか現実に帰ってこられなくなるんですよね。

それが好きで本を読んでるところもあるし、自分のそういうところが嫌いなわけじゃないんですけど、いかんせん意識が体と乖離しちゃうので、全然現実のことに集中できなくなるんですよ。注意力も散漫になるし、目に見えてるものの情報をうまく頭で処理できない。

車の運転とか絶対できないみたいな状態になる。(笑)

 

だからちょっとそれを、戻す作業をします。

ぶわーっと言葉にして考えを外に出す作業がどれだけ頭の中をスッキリさせるのか、こういう時に思い知る。

 

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金原ひとみの小説にすら触れたことがないのでこのエッセイが金原ひとみ的にどんな書き方をされてるものなのか全然わからないんですけど、あのサイトに載ってるエッセイの中でダントツに読みごたえがありました。

面白いという言葉が適切かどうかはわからないけど、端的に言うなら面白かった。

 

エッセイなので当たり前なんですけど、全部金原ひとみの目線で書いてあるので、全部女の目線なんですよね。

それもそこらにいる女じゃなくて、決して社会と仲良くやってるとは言えない、口にピアスを開けてる二児の母で作家で、過去に色々体験してきた女の目線なんですよね。

 

腐女子のつづいさんでは愉快な腐女子ばっか出てくるけど、金原ひとみのエッセイでは不倫とか浮気とかに触れてる女ばっか出てくる。

別にどっちがどうとかは本当にないけど、類は友を呼ぶのかなって。

 

不倫して息を吹き返したような友人や、浮気されて別れると決意したのに多くの理由でそれをできない友人を、徐々に世界から消えていきたいと思い続けている金原ひとみの目線から見るの、とても思うものが多かった。

そんな友人を止めるでも寄り添うでも励ますでもなく、ただ友人として見てるの、すごいなと思ったしなかなかできないなと思ったけど、そういう友人こそ必要な気もした。

 

私は昔から専業主婦になりたかったけど、去年1年間専業主婦みたいなことをやって、どんどん自分の人権がなくなっていくのを感じてた。

私の場合はオンラインでいつも友人と繋がっていたので、ああ私の人権が失われていってるんだなって気付けたんだけど、世の中の専業主婦の人はそれに気付けない人も多いんだろうなって。

別に辛くないんですよね。それが普通になっちゃって。ただ、離れてみると、人権がなかったなってわかる。

 

そういうことに、不倫とか浮気とか、そういうことで気づく人もいるんだろうなと。

 

不倫を始めてから、友人のレイナが昔の輝きや元気を取り戻したというような一節があったんですけど、それを悪いことだとは言えないなと思ってしまった。

誰が悪いの?みんな悪いし、誰も悪くない気もするし、もはや悪いとか悪くないとかの話ではない気すらする。

 

多分高校生の頃の私は「それでも悪い」と言っていた。大学生の頃の私でも「他の救いに縋るべき」と言っていたと思う。だけど今26歳を目前に控えた私は「悪いとは言えない」と言う大人になった。

それはいろいろなことを知ったからかもしれないし、いろんな人の気持ちが分かるようになったからかもしれないし、汚い大人になったからかもしれないし、浮気を経験したからもしれないけど、それでも、不倫で生きる力や女としての意識を取り戻すレイナを見て、人生に輝きを取り戻せてよかったとまで思った。彼女の幸せすら願ってしまう。

 

一番直近の更新で、未来の自分について書いてたけど、私は思い描いていた未来の自分が、専業主婦でただただしあわせな生活の中で愛して愛されて日々を送ることだったの、もうその未来を描ける時点でめちゃくちゃしあわせじゃんと思っちゃった。

専業主婦になれば幸せになれると思ってた。自分を世界一愛してくれる人と出会って結婚したら幸せになれると思ってたし、結婚したら無条件で一生自分を好いてもらえるんだと思ってた。自分も一生愛していけるんだと思ってた。

そう思える日常を生きていたことが、どれだけ幸せで恵まれたことか、今ならちょっとさすがの私でもわかる気がする。

 

私もそれなりに苦労を味わってきたつもりだし、生きたくない朝も消えたい夜も死にたいけど死ねない昼もあったけど、たぶんしあわせを知らない日はなかった。

生きなければ悲しませてしまう人の顔が浮かぶこと、消えてしまえば心配してくれる人の顔が浮かぶこと、死ねないと思わせてくれる何かがあったこと、幸せ以外の何物でもない。

 

幸せの中ですら息ができない日があることを知ってしまった大人は、これからどうやって生きていけばいいんだろう。

人生があまりにも長すぎる。だけど憂鬱になってばかりはいられない。

 

ありがたいことに今、人生でも類を見ないくらい平穏で幸せな日々を送れているので、ここからだなあという気持ちです。多分この生活を送ってなかったらエッセイを読んだ時点でおうちに帰れなかった。(笑)

エモい気分に浸ろうという余裕すらあって、志村の歌うフジファブリックを聞きながら帰ったりなんかして、いま日々の生活がどれだけのものを私に与えてくれているのか、感謝しながら夜道を歩きました。

志村正彦、お前が作ってお前が作る歌、いつ聴いても最高だよ。

 

星降る夜になったら

星降る夜になったら

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 醒めた夢の続きに期待をしてる。

輝く夜空の下で、言葉の先を待っている。