たまごかけごはん

どこかで箸休めしたくて書きなぐったものです。

記者会見の話

 

どうも私です。

 

唐突ですし今更ですけど、山ちゃんと蒼井優ちゃんのの二人の会見、本当にめちゃくちゃ、めっちゃくちゃよかったですね。

夜、ゲームしてる友人たちと動画で見たんですけど、もはや泣いてたやついた。(笑)

なんというか死ぬほど幸せがあふれていた。幸せが詰まってた。

 

二人の一問一答を聞いて、4人で「んんんんんんん!!!!!!!」っていうだけの時間を繰り返しました。(26歳)

なんか、なんであんなに幸せな空間だったんだろう…わからないけど本当に本当によかったですね…。

 

本当に素敵でしたね。まず二人の雰囲気がめちゃくちゃ素敵だったし、どんな質問にも誠実で幸せに溢れた回答で返せるの、この二人が今感じている感情にしあわせって名前がつくんだろうなって思うくらいだった。

 

蒼井優ちゃんが言った、山ちゃんと結婚しようと思った理由みたいな問いに対する答えに対して「女が幸せになれるすべてが詰まってる気がする」っていうツイートを見かけたけど、本当にそうだなって思った。

友人は「結婚の理由が好きとかじゃないのがいい」って言ってた。「好きとかじゃないんだろうね。なんかそういう、いつかなくなるかもしれない気持ちじゃなくて、もっと具体的でもっと現実的なところから結婚を考えて、そしたらしあわせになれるんだろうな」って言ってて、はあそうかもしれんなあと。

 

コブクロのなんか(中学の時に聞いてたので10年は前なはず)の歌詞に「好きだけじゃダメなことわかってるけど、好きな気持ちに何が勝てるの?」っていう歌詞があって。

ずっと、結局好きが最強だなって思ってたし、好きは最強だけど、好きだけじゃダメなんだよねとしみじみ思います。

 

そういうことを考えるとき、ヒャダインが友人(先日蒼井優ちゃんだったと明かされたけど)の言葉としてつぶやいてた、「自分が誰を好きかより、誰といるときの自分が好きかの方が重要らしいよ」的なあの言葉、ぐう正だなって。

 

 結局、自分が好きじゃないと誰かなんて愛せないと思うので、その人といることで自分が好きになれるっていうの、めちゃくちゃ大きいなって思います。

自分が好きになれる自分でいさせてくれる人、きっとすごく貴重だしね。

 

26歳独身4人で「久しぶりに結婚に希望を持ったね」って話せるくらいとてもとても幸せな会見だった。あと蒼井優ちゃんめちゃくちゃ好きになりました。ぐうかわすぎた…。最高だった…。

 

願わくば死がふたりを分かつまで末永く永遠にしあわせでいてほしい…。

ひとのしあわせに浸ってしあわせな気持ちになりました。 会見してくれてありがとう。

 

塵も積もれば山となる話

昔からお話に触れるのが好きで、小説大好きだし漫画大好きだし古文大好きだし歴史(もはやこれはノンフィクションだけど)好きだし、あほで能天気そうな見た目に合わないくらい情緒的な人間になってしまって、そのせいでメンタルがヘラって傷つくことも多かったんですけど、最近はそれを良しとしてくれる人といればよいのだと気づきました。

 

最近あるシリーズ作品を一気見して、その話をツイッターでしたらめちゃくちゃ長いリプくれた後輩がいて、140字に収まらないリプを1日数回、数日間送りあってたら、ついに今日の昼間くらいにリプの返事がラインできたんですよ。(笑)

 

「仕事落ち着いたらこっちでリプ返します!」ってきてたので、「お手すきのときでいいよ、なんか文通みたいで楽しいね」って返したんですよね。

そしたらさっき、まあ長い、便せん3枚分くらいの返事がきてて笑ったんですけど、最後に「文通みたいで楽しいねってめっちゃ情緒溢れててやさしい気持ちになりました。お返事くれるとうれしいです。」って書いてあって、あーいいなあ、こうやって画面上の文字ですら雰囲気を分かち合えるの、めちゃくちゃいいなあって思いました。

 

別に普段小説的な言い回しを使うことなんてないし、情緒なんて持ち合わせないほうが楽に生きていけそうだし、すぐにいろんなことを考えてしまっていろいろ怖くなって動けなくなったりするけど、でもこうやって素敵な時間を分かち合える誰かと分かち合う喜びを感じられるなら、私が積み重ねてきたものも悪くなかったなあって。

 

同棲やめる!家探さなきゃやばい!おうち返りづらい!って嘆いてるときも、相談する友人みんな「じゃあうちに住みなよ」って言ってくれて、それを「人徳だよ」と言ってくれる人もいて、私は私のことが全然好きじゃないし自己評価も全然高くないんですけど、私が両親よりも信頼を置く友人たちがそう言ってくれると、自分が少し肯定される気がする。

 

昨日も、友人に顛末を報告したら「君は自分が思ってるよりもずっとまっすぐ生きてるから大丈夫だよ」とのお言葉をもらって、まークソ女なので本当に全然そんなことはないと思うのに、クソ女な部分を知ってくれてる友人がそんな言葉を与えてくれるというのがもうなんか、泣けて仕方なかった。

 

周りから愛されるというのはそうそうないことだよ、それは君がまっすぐ生きてきたからだと思うよ、って、私を愛してくれてる人に言われるの、しあわせ以外の何物でもなかった。

 

私が自慢できるもの、周りに恵まれているということしかないんですけど、その周りのみんながこんなどうしようもない私を愛してくれているということで、もう少し自分を肯定して生きていきたい。自己否定からは生まれない何かを手にして生きたい。

 

せめて自分が好きな自分でいたい。

 

なんでもない話

秋が来る頃にはふらっとソロキャンに行く女になっていたい。

 

そういう気持ちでメイフライチェアの値段が下がらないかずっとAmazonを見張ってます。あと恐らくテントも失うことになるので欲しいなあ。車を持つ予定が全然ないので本当はステラリッジがいいけど、まあ無難にクロノスだわな…って感じでモンベルのオンラインショップも見てます。

 

夏は虫が多くて嫌なので秋がくるまでにこつこつ揃えたい…。

まあそれよりも先に引っ越し先で必要な家電とかの購入なんですけど。(笑)

 

冷蔵庫も洗濯機も炊飯器もこだわりはじめたらきりがないし、もうセットになってる無印のやつでよくね…?だめなの…?って思ってる。お金ないし、使えたらそれでいい…。

こういうのも考えなきゃならんよなあ。

 

あれだけ一人で立ちたいと言っていたのに、最近は人に頼ってばっかりなんですけど、いろんな人に甘えて感じたことは、人為的なしあわせっていうのは人の好意とやさしさから作られてるということです。

 

あの人といるとしあわせだとか、この人はしあわせそうだなあとか、釣られてしあわせになっちゃうとか、そういうのってすごく自然に感じてしまうので当たり前のようにその人が持っていて与えてくれるものという感じもするけど、決してそんなことはないんだなって。

 

私にしあわせをくれる人は、私をしあわせにしようとまでは思ってなくても、私を好きでいてくれて、それが直接的か間接的かはわからないけど、私にやさしくしてくれる人なんだなっていうことをしみじみと思い知った。

 

本当にどうしてそんなに良くしてくれるのかわからないし、ありがたくて頭あがらないけど、このくっそつらいときに支えてくれるのは私の今後に期待していただいているからだと解釈して、これからめっちゃ頑張ろうって思ってます。

がんばるというか、わたしらしく生きたい。

 

この数年失ってしまっていた、私が私の望みに従って私のために生きるという生活を取り戻したい。

たぶん、それがなくなっちゃってだめになっちゃったんだと思うから。

 

失ったものばかりではないし、得たものも多かった2年だから、それを生かせるかどうかはこれからだと思って、日々生きます。生きたい。

とりあえず秋にはソロキャンに行きたい。

「人を救うのは言葉じゃなくて、おいしい食べ物なんだよね」の話

数年前に携帯を変えたときに引き継げなくてやめちゃったことがあって、やめてからめちゃくちゃ後悔してることでもあるんですけど。

 

本を読み終わった後に、その本の中から一番響いた一文を抜き出して、そこに一言だけ感想を加えるっていうのを、確か一言日記かなんかっていう、本来は自分のために日記を書くアプリでやってたんですよね。

 

なので何かを読み終わったとき、この一文だなって思う一文を抜き出す癖がついてて、本の話になったりしてタイトルを言われると、さすがに言葉にはしないけど「ああ、あの本はあの一文が最高だったな」って感じで思い出すことが多いです。

 

中でも一番覚えてて、もはや私の人生における座右の銘になりつつある一文が、伊坂幸太郎の『重力ピエロ』の「人を救うのは言葉じゃなくて、おいしい食べ物なんだよね」っていうお母さんのセリフです。

 

まあもちろん物語なので、作者が話してるわけじゃないんですけど、これだけ多くの言葉を用いてこんなお話を書いてしまうほど言葉を理解し言葉を愛し言葉に愛された人間がそんなことを言うか?っていう。

いうなればBUMP OF CHICKENの『才能人応援歌』をアルバム「orbital period」で初めて聞いた時のような。いま(つってももう10年以上前だけど)の藤原基央がそんなことをいうの?っていうような。

 

それでいて核心だなって。

 

結局、本当の意味で人を救うのは食と睡眠だと思うんですよね。

食べれば元気が出るし、寝れば回復する。

めちゃくちゃ単純なんですけど、その二つの幸福度をめちゃくちゃあげると、もうそれだけでめっちゃハッピーになれる。

 

そして幸福度を簡単に上げられてしまうのは食。食べたいものを食べれば幸せだし、ちょっと高いものを食べても幸せだし、肉を食べても幸せだし、甘いものを食べても幸せだし、誰かが作ってくれた料理を食べても幸せだし…。

ごはんって幸せへの道がめちゃくちゃあるのにどれもめちゃくちゃ簡単で、本当に、いとも簡単に人を救うなって思います。

 

『重力ピエロ』でお母さんのそのセリフを見てから、あっつらいなと思ったらおいしいものを食べるようにしてます。

でも、そういう時って本当になかなか食べたいものもなくて、コンビニとかスーパー行っても全然何も手に取れなくて、そういう自分を見て「ああ、本当にやばいんだなあ」と自覚できるのもまたいい。

 

元気なときに、自分が何度食べてもおいしいと思えるお店を見つけておくっていうのも人生の楽しみになりました。

なにかあればここのごはんを食べにくるって思える、そんな気分じゃなくても食べにくるんだって誓えるような、食べれば絶対においしくて、絶対に救い上げてくれるという信頼を置くことのできるお店って、まあなかなかないですけど、それでも自分の住む町に1つは必ず見つけたい。

 

まあでも、ラーメンでもいいし、パンケーキでも、牛丼でもパフェでもケーキでもいいんですよね。毎日通えるようなお店でもいいし、特別じゃなくてもいいし、お上品じゃなくてもいいし、高くなくてもいい。ただできればお休みの日が少なくて、夜遅くまで開いてるところがいい。

 

今月末引っ越すので、新たな街でもそういうお店を探そうと思います。

 

こういうことできるようになって、ようやく最近社会人になったんだなっていう実感がわいてきました。

自分を救うためにいつでも使えるお金くらい持っていたいなって思って、今日もなんとか職場へ行ける。

 

私は割と自他共に認める頭お花畑女で、どんなことも前向きにハッピーに捉えてなるべくハッピーに生きられたらめっちゃハッピーじゃん?って思うタイプの頭の軽い女なので、結構いろんなことから幸せを感じる人間なんですけど、まーそれでもお花畑に雨が降らない時期もあるし、太陽がなかなか昇らないときもあるし、何なら農薬を散布されるときだってある。

 

それってどれも自分では何ともできないことだから食らうしかなくて腹立つけど、でも食らった後もちゃんとなんとか自分を立て直せる大人でありたいなと思います。

 

そのために今日もおいしくごはんを食べる。

 

 

重力ピエロ (新潮文庫)

重力ピエロ (新潮文庫)

 

 

まあでもそれは私の十八番だよねって話

自分のしたいようにするの、めちゃくちゃ難しくない?

普通につらい。きつい。

 

多分誰に対しても嫌われる覚悟を持てないからなんだろうけど、私は右に行きたくても「右に行かれるとつらいんだけど」って言われたら左に行っちゃう。

 

ゲームだって誰もヒーラーやらなけりゃヒーラーやっちゃうもん。タンクやる人がいないならタンクやっちゃうもん。やっちゃうんだよ。

 

優しさとかそんなんじゃなくて、ただただ本当に自分のエゴだと私が誰より自覚してると思うんだけど、誰かを傷つけるという行為が苦手。

 

多分、傷付いた誰かを哀れんでしまうからではなく、傷つけた自分を受け入れられないからだと思う。

結局自分が一番可愛いくせに、自分を可愛がる自信も覚悟も根性もないんだ。

 

昔は、嫌いな人には嫌われてもいいと思ってたのに。自分の意見をきっちり大切にできてたのに。

 

どうしてこうなったんだろう。どうしたらいいんだろう。

何を選べばいいんだろ。私に何が選べるんだろう。

 

どんどんわからなくなって、どんどん苦しくなって、どんどん辛くなる。参ったね。

 

何かを変えるのは本当にしんどくて、だけど変えないのもしんどくて、どうしたらいいだろう。つらい。きつい。

ふとした時につらいのが一番つらい。

 

うまくやっていけると思ったけど、もうなんかだんだんなにが答えなのかわかんなくなってきて、もうだめです。もうむりです。

もう無理だけど決めたこともあるから。

 

全世界、私をすこれよ。もしくは全世界が嫌ってくれ。

中途半端に愛さないでくれ。

 

めちゃくちゃくそ女だと自覚した話

ヘイヘイハロー調子はどう?

私はめちゃくちゃ悪いです。ごめんね大槻唯。

 

夢が変な角度で叶ってしまっていろんな現実が見えてしまって、それでも叶えたいことは何だっていうのを考えてたんですけど、私は結局夢女子だし自分が愛されたいし自分の好きな人に自分が愛される夢を見るのがやめられないので、それでも叶えたいことはやっぱ「好きな人に世界で一番好かれる自分になる」ことだなって。

 

同棲してた彼氏にはGW最終日に別れを告げて、別れを告げられてめちゃくちゃ後悔してすごく優しくしてくれるのを見て余計に心が苦しくなって、こんなに優しくしてくれるのに家に帰りづらくなって、それがまた申し訳なくて、永遠に申し訳なくて心が擦り切れそう。

 

まあ別れて一緒にいるのが辛くないわけないし、向こうの方が辛いはずなので早く出て行きたいけど、お金も無いし向こうは本当にほんのすこしでも長く居てほしいみたいだし、なんかもう上手く息ができない。

 

このまま一人暮らしをしたら浮気した友人、つまり私の好きな人とまた浮気してしまいそうで、そうなると本命になれない気がして怖くて、一人では…と思って前々からルームシェアしようと声をかけてくれる友達に声をかけたんですけど、それも決め兼ねてしまって私から言い出したくせに私が結論を保留しているというクソもクソな状況に。

 

一人で立てる気はしないけど一人で立ちたくて、一人で立つってなんだろうって考えて。

 

私の好きな人も、ルームシェア候補の友人も、ルームシェアの先輩として話を聞いてくれた別の友人も、みんな「自分のことを考えて、自分が得する選択をして」って言う。

 

私は別に自己犠牲精神とかそういうのはないけど、自分のことが好きじゃないので、自分のことを考えるのが本当にめちゃくちゃ苦手です。

 

だってこうしたらこの人が辛いじゃん、とか考えてしまう。それは完全に私のエゴで、私が思ってるほど辛くないかもしれないんだけど、なかなかそう考えてしまう癖が抜けなくて。

でも今はそれを一番に無くしたいと思ってる。

 

彼氏とちょっと離れてみれば、私が今まで生きてきた中で手に入れたものが本当に溢れんばかりにあって、私は恥ずかしがり屋でプライドが高くて、頑張ってるところを人に見せたくないとか、必死になってると思われたくないと思う節があるんだけど、隠せてるつもりで全然隠せてないんだと死ぬほど思い知った。

 

みんなめちゃくちゃ見てくれてる。私が見せようとせずとも、ちゃんと私を見ててくれる人がこんなにいる。なんて有難いことなんだろうって涙が出ました。有難くて、頭が下がる。

 

辛い時とか苦しい時、一人でも乗り越えられる女がいい女だと思ってたんですけど、ルームシェア候補の友人が「人に甘えられるのも、甘える人がいることも、甘えられる人が一人じゃないことも、才能ではあるよ。それを辞めたいと思うなら、一緒に住むのも一つの手ではある」と言っていて、私が本当に目指したいところはどこなんだろうと考えました。

 

お金も土地も権力も美も何も持たない私が唯一持っているものは人しかなくて、私から人を取ったら私には何が残るんだろう。私がこの人生で積み上げてきたものは、「いつどんな時も味方」だと言っていつでも受け止めてくれる友人達への信頼のみじゃないか。

 

一人で立つってなんだろう。

一人ってなんだろう。私は一人なんだろうか。一人じゃないんだろうか。一人だったことなんてあっただろうか。一人なんて知ってるだろうか。

 

わたしは昔から事なかれ主義で、出来れば何を終わらせる時も円満に終わらせたくて、高校の時の彼氏と別れる時も大学の彼氏と別れる時も、めちゃくちゃ泣きながら別れたくせに絶縁することは選ばなかったんですよね。

 

そうしたら、高校の時の彼氏の今カノだという人とたまたま知り合ったことがあって、奇跡みたいだったんですけど本当にすぐに仲良くなって、ついには高校時代の元カレの結婚式に新婦側の友人として出席するっていう意味わからない自体になるくらいになって。

 

この話は誰にしても笑ってもらえるのでよくするんですけど、わたしの大親友に話した時に「君が苦しんで擦り切れながらも何も捨てずに全部抱えて歩いてきたからやね。」と言われて、びっくりしたしめちゃくちゃ泣いてしまったことがあったんですよね。

 

「私はそんなに泣くなら絶交した方がいいし、友達続けるのはしんどいと思うよって君に言うたけど、それでも君が選んだ道が、こうしてまた新たな道に繋がってさ。誰より優しい君らしいよ。」と笑ってくれた親友の言葉を昨日唐突に思い出して、ああそうかって。

 

私が歩んできたのはそういう道だなあと。

 

一人暮らしにしようと決めて、大学時代の元カレに連絡して、ちょっとこれから頑張らなきゃならないんだけどつらくて無理そうだから世界で一番甘やかしてくれって言ったら「適任。任せとけ」って返ってきて、ちょっと泣いた。

 

大学時代の元カレに頼ろうと思ったのは、私がもう何も隠さなくていい人なことと、お互いに大好きだけど二度と好きになることはないだろうって分かってるから。モテ男だけど彼女いなくて助かった。

 

側から見ればこの一週間の私、彼女持ちの男と浮気してそれをきっかけに彼氏と別れる決断ゆしてそれを彼氏に伝えたくせに、悲しんでる彼氏を見ることができなくて早く逃げたくて大学時代の元カレを頼るっていうマジモンのクソ女なんですけど。(笑)

 

でもこうなんだなあと。これが私で、まじクソ女だし浮気してる時点であれかもしれないけど、それでも気持ちの伴わないことは絶対にしてないつもりで、私は私なりに真っ直ぐに生きてきたつもりなんだ。私は今手にあるものを後悔したことなんてないんだ。

 

いいクソ女でいようと思いました。

私が得する選択を。私のために。生きるために。

 

夢の続きの話

前回、いや今日どうなるんだ…って書いた翌日に書いてます。

 

結論から言うとまあ寝ました。だよねー。

 

この日も2人で夕飯の準備して、お酒飲みながらラジオ聞いて笑いながらご飯を食べ、順番にお風呂に入りそして寝る…ここ数日で日常と化した生活を送りました。

 

まあもう昨日チュッチュしてるので、お布団に入って話しながら割とすぐチュッチュされて、あーこれはひょっとしたらひょっとするな?みたいなこと思ってたんですけど、まあひょっとしたよね。セブンで買っちゃったっつってて笑いました。すまんねえ。

 

行為がどうこうよりも大事に大事にしてくれる感じが最高で、とにかく幸せになってしまった。

 

こんな延泊すると思ってなかったからユニクロで下着を買い足した私、上下ユニクロの下着だったんですけど、「まさかユニクロの下着を脱がされる日がくるとは…」つって笑ったり「安い女すぎない?」って言ったら「いい女がそれだけ気を許してくれてるってことだと思っとくよ」って言われて笑ったり、「いややっぱ色気ねえな」って言われてまた笑ったり、まあとにかくセクシーな大人な感じとはかけ離れた感じで、友人のまま友人を超えたみたいな感じがあって、なんというかとても…とてもしあわせだった。照れ臭くて楽しくて幸せだった。

 

こんなの四半世紀生きてきて初めてだなあって思ってまた笑った。

 

ことが終わってもひたすらしあわせな時間が続いて、なんでかくりぃむのANNの話をしながら寝て、朝起きて、GWが終わること、つまりこのしあわせな偽物の時間が終わることが惜しくて離れがたくて10時くらいに起きてたけど5時間くらいチュッチュダラダラしてた。

 

「まさか自分の身に浮気が降りかかるとは思わなかった」って話して「こんな穏やかで幸せだとも思わなかったね」って言って、笑って、頑張って生きるかあって起き上がった。

 

彼女のことがどれくらい好きなのか、私のことどれくらい好きでいてくれんのか、全然分からなかったけど、最後の最後まで優しくしてくれていい男だなあと思いました。いい男は浮気しないかもしれないけどね。

 

自分の家に帰る途中で、彼氏から帰省から戻った連絡があって、それを見ても罪悪感が全然湧いてこなくて、これはなんかもう私はダメだなって気付いて、めちゃくちゃ考えながら帰りました。

どうすれば一番、自分がしっかり立てるのか。

 

友人に本気になってもらうためには、私がしっかりするしかないかなって。そしたらもう私がやるべきことは見えてる。私が私の力で、しっかりと立つ。

そう思えたことがなんか…すごい…成長を感じる…わたしの…。低レベルだけど…。

 

おうち着いて、何かを感じ取っていた彼氏にそれはどうなの?って思ったことを話して社宅だからっていうこともあるし「この家を出ていくつもりで過ごすね」って話をしました。

 

社宅を出て一緒に暮らすのは嫌?と言われたけど、引越しが嫌だと話しても相談じゃなくて報告だと押し切ってここに引っ越すことにしたのは彼氏だし、たぶん彼氏も一旦私から離れて考えた方がいいよと話して、そしたら彼氏はごはんも食べずに寝てしまって心が痛んだ。心を痛める筋合いなんて私にはないかもしれないけど、間違いなく今同居人ではある彼が苦しむ姿を見て、もう少しうまくできればよかったなと思った。そんな方法があるのかは分からないけど。

 

途中まで書いて寝てたので朝になってGW終わって通勤中に書いてるんですけど、今朝まだ弱ってる感じの彼氏を見て相当情が湧いてしまったので、決めてしまってよかったなあとボケーっと思いました。

 

昨日言ってなかったら無理だったかもしれない。

 

自分が決めたことに自分の心がなかなか追いついてこないし、甘ったれなのですぐ誰かに頼りたくなるし泣きつきたくなるけど、凛と生きたいと思うのでふらふらでも自分の足で立ちたいと思う。がんばろう。

 

はー深呼吸して がんばろ 出勤だーーーー